私はそれまで天使に会ったことがなかった。
だから、初めてあなたに会った時、
あなたが天使だとわからなかった。。。
11月20日、私が面会に行くのを待ってくれていたあぷは、私の胸に抱かれてその一生を終えました。
2日前に、住居の処分を業者に連絡したところでした。また面会の翌日には引っ越し先の家を探す予定でいました。
やっと動き出したところでした。でも、遅すぎたのです。
7月の末に時点で、あぷはもう限界だったのです。すぐに引っ越すべきでした。
引っ越しの難しさに、ズルズルと先延ばしにしてきたのです。困難であっても不可能なことでなかったのに......。家を処分しても、あぷの、うさぎのあぷの一生を終えるまでの間位、生活していけないことはありませんでした。
私はあぷがいてくれれば何もいらないと言いながら、あぷの苦しみより自分のことを優先したのです。その結果として、唯一の家族、生涯の伴侶を失ってしまいました。
あぷだけではありません。前のうさぎのももちも騒音のために死なせています。それどころか、その前のミドリガメの太郎(たーちゃん)に至っては、私が殺してしまったのです。
5月の連休中に、ちっちゃな透明のケースに入ったたーちゃんが来てくれて4ヶ月程経った時、リビングにいたたーちゃんの頭を私のかかとが一瞬踏んでしまいました。それからの2ヶ月、たーちゃんはほとんど寝てばかりでした。11月1日に少し元気になって泳いでくれた時の嬉しさは、言葉に出来ません。
リビングとキッチンの間のカウンターに置いてある水槽に、たーちゃんはいました。中に流木を置いてあったのですが、たーちゃんはその流木に乗り、キッチンの流しで仕事をしている私に対して「そばに行きたい」というアピールをしきりにしていました。右手で流木の出っ張った部分をつかみ、左手を思い切り私の方に伸ばしているのです。あまりに伸ばし過ぎて、体が流木から半分落ちそうになっています。
「たーちゃん、そんなことをしたらおっこっちゃうよ」
私はあまりの必死さに驚き、笑いながら言いました。
その翌日、たーちゃんは死んでいました。右手で流木の出っ張った部分をつかみ、左手を思い切り前に出して伸ばした、その形のままで......。映画やドラマでよく死の直前の二人が、お互いに触れるために思い切り手を伸ばすような仕草、そのままでした。
毎日泣いて暮らす日々が延々と続きました。
自分を死に至らしめた相手の手のひらに乗りたいと、流木から体が落ちそうになるほど手を精一杯伸ばした形のままで死んでいた、この事実が私を打ちのめしました。
ちょうどその頃、フランスが核実験を他の国でしたというニュースが流れていました。
他の国で核実験をして自国を守るというのが、万物の霊長である人間の「英知」であるならば、私は自分に死をもたらした相手を宥し、なおも求める、その「愚かさ」に与したいと思いました。その尊さに、優しさに、決して消えることのない悔いに、悲しみに......立ち直ることができませんでした。
もう一度「私のもとに必ず来て欲しい!」それだけを強く強く願いました。
それから私は、うさぎのももちと暮らし、次にあぷを迎えました。
ももちはパンダうさぎの雑種で、あぷより小さい1キロちょっとの男の子でした。しかし、りりし系(?)で私を守るナイト(騎士)を自認しているかのようなうさぎでもありました。
その後にきてくれたあぷは、ももちとは対照的に最後まで甘えん坊さん。11月3日が命日のたーちゃんと、1月13日が誕生日のあぷ。
そんなあぷに出会ったのは、こうさぎが揃ったとの知らせを聞いてお店に行った夕暮れ時のことでした。うさぎたちが順番に、ケージから出してもらって遊ぶ時間だったようです。私が行った時がちょうどあぷの番だったのです。
ケージから外に出られて喜んでいるあぷはビンキーをしながら、くるっと「笑顔」で振り返って私を見たのです。
うちにきてからのあぷは、とにかく私のそばにいたがるうさぎでした。
朝起きてあぷの部屋に行くと、「ギーッ」と叫ぶような甘えた声を出しながら私のもとに走ってきて、正座をした私の膝の上に飛びつくように抱きついてくるのです。あぷは自分の上半身を私の膝の上あたりにのせて抱きつき、私は両手であぷの体を包むように支えながらナデナデをします。一歳になるくらいまでは毎日、朝は短くて一時間、二時間以上も普通でした。私はこれを「ダッキー」と呼んで「あぷのテーマ」をエンドレスで歌いながら、ナデナデをするのが楽しい日課となっていました。
夏はクーラーをつけていても、あぷのお腹と私の膝の上あたりが汗でベトベトになります。それでもあぷは平気て、ダッキーをしながら眠っていました。
初めはあぷの上半身は充分に私の脚の上に乗っているのですが、寝てしまった後は頭がだんだん後ろに反ってきます。おんぶをしている赤ちゃんの頭が後ろにガクッ、となるように倒れそうになってしまうので、私は手でそっと支えてあげました。まさに、愛しさのかたまりでした。
その間私は、本や新聞を読んでいるのですが、ページをめくろうと片手を離すとあぷは嫌がります。そのたびごとに、離した私の手を振り返って見ながら、離しちゃダメ、という仕草をするのです。私は
「いいじゃない、少しぐらい離したって......」
と、少しだけ口をとがらせながら言っていたものです。 2年前に卵巣がんになった時など、朝といわず、昼といわず、夜といわず.....一日中、私が床に座ればたちまちダッキーをしにきました。体の具合が悪くて、不安だったのでしょう。それは手術の日の朝まで続いたのですが、手術後は一切しなくなりました。
またキャリーバッグが嫌いで、歯が悪くなるほどかじってしまいました。分厚いビニールのような化学繊維をズタズタに壊してしまうほどです(ちなみにあぷは木や布、紙といったものはほとんどかじらない子でした)。仕方なくバスタオルにファスナーとひもをつけ、キャリーバッグ風に作り「あぷちゃんの舟」と名付けたもので病院に通うことにしました。
あぷの顔の部分のファスナーを少しあけて歩いている時に、あぷの顔が私の胸あたりの高さ迄しかこないと、とても嫌がりました。「あぷちゃんの舟」から必死に出てよじ登ろうとします。あぷの顔が私の頬につくくらいまで、高く上げて抱っこされるのが好きでした。そうすると人が驚くほど、あぷは長時間大人しくしているのです。こんなことをする動物も、私は初めてでした。
荻窪の鍼灸院は往復で3時間弱、藤沢の獣医さんでは4時間以上の通院時間がかかりました。それに診察時間と待つ時間を加えると、両方とも一日がかりになってしまいます。定期検診はともかく、具合の悪い時は体の負担になって心配ではあるのですが、それでも、あぷを抱いての通院は本当に楽しいものでした。今ではかけがえのない素晴らしい思い出です。
入院中も毎日、あるいは一日おきに面会に行っていたのですが、前回と今回の入院ではほとんど行ってあげることが出来ませんでした。騒音対策のために、直接相手方にあたってお願いしたり、建物の管理会社や、管理組合等、可能な限り交渉をしました。そしてそれが最終的にダメだとわかり、引っ越しの準備にかかっていたからです。
どんなに急いでも、あぷの退院までに引っ越しが間に合わないと思われたので、それまではウイークリーマンションを借りるつもりでいました。
11月20日、お昼頃に面会のために病院に着きました。
いつものK先生は学会で朝お出掛けになり、代わりにY先生が担当してくださるということでした。
2階の入院室に行く間にY先生に、あぷの状態がかなり悪いことを告げられました。薬を与えても頭の揺れと眼振がおさまらないとのことでした。
あぷはもう、いつものように座ることもできず、前と後ろの全ての脚をダラッ〜と伸ばし、苦しそうにしていました。
私が来たのをわかったあぷは、動けないながら必死で私のそばに来ようと右の肩と右の前脚、左の肩と左の前脚をさざ波のように交互に動かしていました。しかし、もう歩くことも立つことさえ出来ないのです。
先生は酸素室の左右の窓を開けて、
「ここから撫でてあげてください」
とおっしゃいました。私が
「先生、抱っこされたがっています!」
とお願いすると、扉を開けてあぷを出して抱かせて下さいました。
あぷを見た瞬間から、もう長くないことがわかりました。涙が静かに流れました。あぷが愛おしくて愛おしくて、申し訳なくて......。
「お母さんが来たので、眼振も止まりましたね」
先生は左目、右目と確認しながらおっしゃいました。
「もう、今日中だと思いますので、病院ではなくお家に帰られた方がいいと思うのですが、おうちはには......」
「うちへは帰れませんので、ホテルに行きます」
あぷを連れて行ってどのようにしたらよいかを教えてもらってから、しばらくこのまま抱かせてもらうことにしました。
それからさほどの時が経たないうちに、あぷは息を引き取りました。
なぜ、一昨日には家の処分の動きを始めたのに、また明日はあぷと静かに暮らせるお家を探しにいく予定だったのに、逝ってしまったののでしょうか。私が行動を起こすのが遅すぎたことは充分反省しながらも、残念でなりません。
前のうさぎのももちも、あぷも、騒音で体を壊しているということは私の体にとっても良くないのではと、多くの方にも指摘されました。何より、私自身が一番感じていることでもありました。ももちとあぷが、身をもって、命をかけて知らせてくれているのです。洞窟の中のカナリヤのように。そして、やっと、本当にやっと私が動き出したのを見て、あぷは安心して逝くことが出来たのかもしれません。
あぷの死の前日はペットの防音ルームを、表参道にあるショールームに見に行ったところでした。そして帰りに寄ったクレヨンハウスで、思いがけなく敬愛する方に会うことが出来ました。そして
「あなたにあげたかったの」
とおっしゃって素敵な絵本を下さったのです。
18日 水 家の処分の動きを始める
19日 木 あぷの防音ルームを見に行く。「おやすみ、ぼく」の絵本をいただく
20日 金 あぷ息を引きとる
21日 土 家探しの予定(あぷの死により延期)
22日 日 ももちの祥月命日忌 あぷ火葬
19日に防音ルームを見に行きましたが、もうその時のあぷにとっては、防音ルームより安らかな眠りに入る時にかけてあげる言葉の方が必要だったのでしょう。そして、まさにそれをいただいたのです。
「母に読んであげたかった絵本なの」
とおっしゃりながら手渡してくださったものは、赤ちゃんオラウータンが、自分の「あしさん」や「みみさん」に「ありがとう」「おやすみ」の言葉を優しくかけた後に、優しい眠りにつく絵本でした。
「おやすみ、ぼく (Good Night, Me)」
アンドリュー・ダッド/文 エマ・クエイ/絵 落合恵子/訳 クレヨンハウス/刊 2009年
表紙の裏に落合恵子さんはこんな風に書いています。
「(略)
眠たい子も もう眠ってしまった子も
まだ眠くない子も まだまだ眠れない子も 今夜 あなたが みる夢が
おだやかで しずかな夢でありますように! (略) 」
「おやすみ、あぷ」
ありがとう、あぷ!
本当にごめんね。
あぷと暮らせて信じられないくらい幸せだったよ。
あぷがいないなら引っ越しをしなくてもいいかなあ。
とつい思ってしまいがちですが、そんなことをしたら命をかけて伝えようとしてくれた、ももちとあぷに申し訳ありま せんよね。ちゃんと引っ越そうと思っています。
あぷ、ゆっくりやすんでくださいね。もう、音に苦しめられることはありませんから。
あぷ、そして安らかな眠りで充分な休息をとった後、優しい朝が訪れてふたたび目覚めたら......
あぷ また会おうね、きっと!
フロスティのploppさんの可愛さに目が... read more
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